妊婦検診で希望が絶望に変わる

※アフィリエイト広告を利用しています

不妊治療

晴れて妊娠することができ、選んだ総合病院での初めての妊婦健診。母子手帳も発行してもらい、私も付き添って行きました。

スポンサーリンク

初めての妊婦検診と、つわりの日々

総合病院の産婦人科は、本当に様々な人がいます。妊婦さんから婦人病の方まで様々です。

検診をしてもらい、経過は順調。エコー写真はもらえない病院なので、エコーの画面をスマホで撮らせてもらい、家に帰って現像しました。

このまま1ヶ月ずつ検診を続けていくようになります。

妻は相変わらずのつわり生活で、私は毎日食べられるものを探す日々。試してみては失敗し、成功したものを続けて出すと3日で飽きが来るので、食べられるものの種類を少しずつ増やしながらローテーションしていました。

私達は共働きしていて、妊娠前までは、妻がお弁当を2人分作っていましたが、つわりが出てきてからは私が2人分のお弁当を作るようになりました。といっても大したものは作っていませんが。カリカリ梅の混ざった小さなおにぎりと、トマトを1個スライス、キウイフルーツを1つスライス、白菜と鶏肉の和風生姜スープを作り置きしておき、容器に入れるというものです。この黄金の昼食セットを1ヶ月半毎日作り続けました。よくもまぁ飽きずに食べるなと思うくらい、妻はお昼にこれしか食べません。

2回目の妊婦検診で問題発生

そして、2回目の検診日。仕事の都合で私は同席できず、妻だけに行ってもらうことに。

検診は15時からの予定でした。

15時半、妻からの電話

あまり電話をしてくる人ではなく、大体はLINEで済んでしまうので、不思議に思い出てみると、

無言、すすり泣く声

病院の音がうっすら聞こえるも、妻の声は無く「どうした?」と聞くと、

「赤ちゃんに問題があるかも」と絞り出す声。

病院で待機するように伝え、上司に相談し、一度迎えに行くことにしました。高速とばして30分、病院につくと憔悴しきった妻の顔。とりあえずクルマに乗せ、家に帰りました。

少し落ち着いた妻から

「赤ちゃんの首のところに、嚢胞が見つかったの、これからどうなるかわからないけど、数週間で小さくなっていかないと、赤ちゃんダメになるかも」

突然の発表に頭真っ白です。とりあえず詳しく状態を聞くと、首の後にリンパ液の溜まり場ができており、今後の成長で無くなることもあるが、どんどん肥大し大きくなると赤ちゃん自体が生きられなくなるというもの。一度妻を落ち着かせて、家に残し、職場にとんぼ返りしましたが、早々に仕事を切り上げその日はそばに付いていてあげました。

少し不安感が薄らぎ、疲れたのか眠りについた頃、私はパソコンと格闘。この嚢胞の原因はなんなのか、どんなものでこれからどうなるのか、ひたすらに調べました。

調べれば調べるほど、悪い情報しか出てこない

この世の終わりかとも思いました。一縷の希望はあるものの、悪化し、死産となるケースも多々報告されており、希望はどんどんと絶望へ変わり始めました。

嚢胞問題は終わらず

1週間後に再検査ということで、そこについていくことに。嚢胞は大きくなっていました。

そこで、持てる限りの知識でお医者さんに質問するも、曖昧な回答のみ。自分で調べた中に、通っていた病院には、胎児の遺伝子や問題ありのケースに対応できる専門医がいることを確認していたので、その先生と相談できないかと問いかけたところ、担当医が専門の先生に変わりました。

その先生は

「可能性の中でしかモノは言えないけれども、この子の心臓は動いているし、生きようと必死になっている。お父さんもお母さんも、この子の生命力を信じてあげないといけない」

といわれ、我に返りました。

絶対ダメだと決まったわけではない、この子も生きている、まだまだ妊娠は続けられる、この嚢胞がやがて小さくなることを信じて、一緒に生きていくんだという気持ちになりました。

妻も、諦めかけていた気持ちが少し復活し、できる限りの検査と、対策を聞いてその日は病院をあとにしました。

そこから毎週経過観察のため病院に通うことになります。毎日不安と戦う妻と、少しでも一緒に戦えたらいいなと思い。お腹の子と3人で戦うことを誓いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました