死産から学んだもの

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不妊治療

妻が入院して2日目の夕方、先生の診察を受け終わり告げられたのが「明日には陣痛促進剤を入れましょう。子宮口は順調に広がっています」というものでした。ついに来たかと思う半面、やっと大一番に来られたという安心感もありました。

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人生で一番長く感じた一日

翌日、朝早くから病院へ。7時半には病室についていました。朝ごはんを食べて、しばらくすると看護師さんが呼びに来て「では、処置室に移動していただきます。ここに処置の間、病室に戻ることはありませんので」と一言。

初耳でした。促進剤を打っても、生まれるほんの直前までは病室にいるものだと思っていました。このあたりは病院によって対応もまちまちなのでしょう。急いで支度をして、処置室へ

そこには医療器具と、分娩台、そして壁には出産に際しての注意事項や呼吸法などの注意書きが、かわいい赤ちゃんの絵とともに書いてありました。なんだか気分は落ちます。

陣痛促進剤を注射

1本目の促進剤注射、妻の体には大きな変化はありません。真っ白な処置室の壁とにらめっこ。部屋には時計の秒針の音だけが響き渡ります。10時頃をすぎると、周囲の処置室が騒がしくなってきて、妊婦さんの出産の声などが聞こえてくるようになりました。無機質な処置室ではリラックスもできないので、スマホで音楽を聞くことに。

お昼になり、少しずつ変化が出てきました。お腹の痛みと寒さ、咳の症状を訴え始めます。食欲もなく、昼ごはんはほとんど食べず、代わりに私が病院食を食べる。薄味で食べられたものではなかったです。このあたりから、1時間毎に診察され、状況を伝えられることになります。しかし待てど暮せど「また一時間後ね」という言葉。妻の不調具合はさらに進んでいきます。

適応障害とパニック症状の前兆を見る

今になってわかるのは、その時の咳や寒気はすべて不安からきていたものだったようです。出産後、妻は適応障害と診断され、心療内科に通うのですが、適応障害のパニック症状と、咳や寒気は全く同じでした。発熱などがなくても、不安からくる不調があります。しっかり寄り添ってあげましょう。

8時間が経過して

午後4時、処置室に入り8時間が経過です。よくもまぁ、同じ部屋に8時間も、テレビもラジオもゲームもなく居られたものです。午後1時からは、ずっと妻の腰と背中をさすりっぱなしでした。腕と肩の筋肉はパンパンですが、不思議と動き続けます。

1時間毎の診察の際は、部屋の外に閉め出される私。廊下ではいろいろな人間模様が見えます。が、そのどれもが幸せへの階段でした。お腹の大きな奥さんをアタフタしながら見ていて何もできない旦那さん。隣の処置室からは「だからあんたは使えないのよ」と怒号が響いています。奥さんが旦那さんに怒りをぶつけているようです。すべては命のドラマです。

4時半にもう一度診察が入り、その時間はその日の中で一番長いものでした。処置中に妻の叫び声、何もできない自分はただただ祈るだけです。長い処置が終わって、医師から告げられたのは

「お腹の子の首の後の嚢胞が一つ破れました。その時、動いていた心拍もなくなりました」

お腹の子は、最後の最後までしっかりと心拍を打ってくれていたようです。よくここまで頑張った。嚢胞の破れや、心拍停止については、妻には伝わっていないようですが、ふたりとも死産を受け入れているので、あえて今は伝えないことにしました。

死産とわかっていても、出産は素晴らしいもの

午後5時、出産直前です。急いで準備が始まり、私も立ち会いました。

30分近く、いきんだり抜いたりを繰り返しながら、こうして子供が生まれてくるのだということを身をもって感じられました。命に小さいも大きいもないのだと。ここで生まれてくる子供は紛れもなく自分たちの子供であり、その心臓が拍動していなくても、我が子であることにかわりはないのだと。

妻の手を握りながら、先生の呼吸の指示を妻に伝えながら、一緒に呼吸しました。痛みと疲れで何度か失神しそうになる妻を何度も呼びかけ、二人でしっかりと生むことができたのではないかと思います。

午後5時半前

無事に出産は終わりました。男の子でした。子供の顔を見る前に、妻に「お疲れ様、ありがとう」と伝え、妻は私の胸で泣きました。10分ほどそのままで、胎盤も出たあとに、二人で子供の姿を見ました。

24cm 436gというとても小さな私達の子ですが、目鼻立ちもシュッとしており、カッコいい男の子でした。病院の先生が「へその緒切る?」と言ってくれたので、我が子のへその緒を私が切らせていただきました。

その後は、手型・足型を母子手帳にとってもらい、体を綺麗にして、新生児用のポッドに入れてもらいました。体の下にはガーゼとアイスノンが入っていますが、死産なのに、他の新生児と同じように接してくれた病院、看護師さんには頭が下がります。

私の宿泊許可も知らぬ間に取ってくれて、親子3人で一晩を過ごすことができました。翌日の夕方まで、3時間毎にアイスノンとガーゼを看護師さんが取り替えてくれて、親子での時間をしっかりと過ごすことができました。

産後も息つく暇はなし、タイムリミットまでにできること

出産翌日には、死産届を出しに役所へ私一人で向かいました。ちょうど土曜日だったので休日窓口で死産届を提出、引き換えに火葬許可証をいただきました。人が一人命を無くすということはこんなにもいろんな手続きがあるのかとそのときに痛感しました。

病院側の配慮が多大にあり、悲しさもあるけれど、生まれてきてくれた嬉しさもあり、しっかりと我が子を抱くことができたのは、とても感謝しています。短い間だけど、この子のためになにができるか考え、しっかりと火葬までの3日間を過ごすことができました。棺をマイカーに乗せ火葬場までいろいろ寄り道しながらドライブできたのも良かったなと思います。

我が子はどんな形でも我が子です。形ある期間がどれだけあるかは運命であり、その時間をいかに有用に過ごすかが大事なのだなと感じました。妻も私も、満足する三日間でしたし、絶対に忘れない、心に深く刻まれた時間です。

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