究極の選択、そして決断

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不妊治療

妊娠22週を迎える前の最終診察日、22週までは、あと5日です。

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人生最大の決断は苦しいものになるのでしょう

前日、夜仕事から帰ってきて、夕食もそこそこに話し合いをしました。
そこでの二人の気持ちは「ここで終わりにしよう」というものでした。苦しい決断でしたが、お腹の子も、カミさんもよく頑張ったなと思います。

体の循環がおかしくなりながらも懸命に心臓を動かし続ける我が子と、いつ心臓が止まるかわからない、なにが起こるかわからない不安と毎日戦い、終盤は胎児が動く度に激痛が走っていたカミさん。二人ともよく頑張ったし、ここで戦いに終止符を打ってあげることが、私達三人にとって幸せなことなのではないかと考えました。

病院には、入院の準備をして行きました。伝えることは決まっています、堕ろすということです。先生には私が話をしました。先生から頂いた言葉は「よくここまで頑張った、それは三人共に頑張った。この決断は、褒められる決断だよ」という言葉でした。

即日入院です。

死産へ向けての日々

人工妊娠中絶といえど、週数は死産です。子宮口を広げる処置を毎日続けていき、苦痛に顔を歪めるカミさん。入院したときも、その夜も、次の日も、泣かない日はありませんでした。

入院したのは、個室でしたが、総合病院の産科病棟です。周りは、殆どが出産を待つ妊婦さん、そして産後の赤ちゃんの鳴き声。妻は個室から出ませんでしたが、私が廊下ですれ違うのは、妊婦さんと新生児、私は心がおかしくなりそうでした。

ここから7日間、朝起きては病院へ行き、消灯時間に家に帰り、家事をして眠るという日々が続きます。カミさんは、毎朝毎晩、子宮口を広げるための処置を受け、痛み止めを飲んでの生活。どっちの決断も地獄だなと思いましたが、自分たちではどうにもならない領域に入る前に、自己決定できたのは良かった面かもしれません。突然のことではなかったので、心の準備はできました。

しかし、地獄は地獄で変わらない、決断が正解だったのかもわからない、人生で初めて暗中模索の状態に陥ったのかもしれません。右も左も前も後ろも真っ暗な状態で、数日を過ごすのは大変でした。

妻の状態も考え、面会はすべて謝絶。不妊治療については妻の両親には理解が得られず妊娠のことは伝えていなかったため、私が妻の両親一人一人にそれぞれ電話しました。自分の親にも伝えました。本当は、こんな辛い話をするのは2回でいいはずなのに、3回言わされる状況も恨みました。でも、自分には待つことしかできない、そばにいることしかできない、もどかしいです。

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