うつ病を患って一年が経過し、少しずつ回復の兆しが見えてきました。大きな変化と言えば、妻も同じ病気を患いながら、先に回復していることが大きいかと思います。家族のサポートなしに、克服はできませんし、回復することはできない病気だと改めて感じます。私自身は、妻の回復を最優先に考え、ある程度自分は現状維持でもいいと思いながら生活してきました。その中で、当初は職場での環境が引き金となっていましたが、最終的には看護うつのような状態になっていたのかもしれません。それはそれで、仕方のないことですし、その間投薬を続けながら、二人での生活を曲がりなりにも送れたことは、よかったなと思います。
家族の察知と、周りの理解
そもそも私のうつ状態を察知したのは妻でした。会社に行くたびにみるみる衰弱していく私を見て、「もう会社行かなくていいよ」と切り出してくれました。責任感が強く、会社に行かなければならないという意識が強かった私にとって、ここで止めてくれたのは大きなポイントでした。
休職するにあたり、とある先輩に相談をします。同じ会社に勤め、先に退職をしてしまった先輩でした。その先輩が大好きで、目標でもあり尊敬できる人だったので、今の状態をどう乗り越えるべきかアドバイスをもらうことにしたのです。そこで返ってきたのは次のような答えです。
「世の中には二つの仕事がある、自分がいなくなっても誰かができる仕事と、自分でなければできない仕事。それは、自分がいなければダメな世界と、自分がいなくてもいい世界とも言い換えることができる。会社にとって従業員は大切な存在だが、代わりが存在することも事実。一方、親や兄弟、そして配偶者にとっては、あなたは代わりの利かない存在。代わりの利かない世界を優先し、その中で自分にしかできない仕事をすればいい」
この考え方は正直ありませんでした。しかし、的確に実態を表現し、今何をすべきなのかを示してくれています。そして休職する、最悪退職する心づもりができあがりました。
会社にとっての自分の変わりはいくらでもいる
突然の休職でしたが、私一人が欠けたところで会社は普段通りに動いています。それは私の代わりがいくらでもいるからでしょう。今まで自分にしかできない仕事と思っていたことの大多数は、代わりの利く誰にでもできる仕事だったんだと気づくことができました。
このあとしばしの休養を挟み、自分にしかできないこと、自分がすべきことが何なのかを考えるようになります。
営業職時代、勘違いをしていたなと思うことが一つ、それは、「商品ではなく自分を買ってもらえている」という勘違いです。多くの営業マンが、会社が作ったモノやサービスを売り、顧客から利益を得ています。買ってもらうためにはいろいろな要素が必要ですが、営業職を長くやっていると、自分だから買ってもらえているという気持ちがどんどんと多くなってきます。自分には才能がある、営業に向いている、お客さんからの信頼もある、だから給料も多くもらえるというものです。
しかし、営業マンが良くて買っているという要素はわずか数パーセントしかなく、購買意欲はモノの良さがあって初めて発生するものだと考えさせられました。その中で、営業スキルとして得たものは多くありますが、自分が売れているのではなく、やはり自社の製品が売れているというのが正しい判断です。
これは、フリーマーケットアプリ、メルカリで自宅の不用品を売却しているときに感じました。出品するタイミングや値下げ交渉に対する応酬話法など、営業マンとして持っていたスキルを使って、多くの物品を売却しましたが、最終的に決め手となるのはその物の価値と値段があっているのかどうかです。ここに、どういう人間が、どういう思いで売っているという感情的な要素は入ってきません。一定の水準をクリアすれば物は売れていきます。この中に、私のことを必要として買っていく人はほんのわずかしかいないでしょう。
好きだったことも大事だが、新しく好きなことを見つける
営業のように人と話をして、モノを売るという行為以外に、もう一つ自分が好きなことがありました。それが、自分の知識や技術を高め、他人に伝承することです。簡単に言うと先生的な立場になるということでしょうか。
体調の回復とともに、始めた卓球のコーチングスタッフでこのことに気づきました。5年以上付き合いのある、気心の知れた卓球場の代表から「リハビリにやってみたら?」と勧められ、週1回2時間ほど、中学生の個人レッスンを受け持つことになりました。卓球歴は20年以上あり、教えることも好きだったため、コミュニケーション能力の回復にと始めました。実質半年間、中学3年の生徒を2名受け持ち、夏の総体までコーチをしました。子供たちの成長を嬉しく思いますし、なにより子供に卓球を教えることが楽しかったです。短い時間でより効率的に、その子供にあった方法をと考えるようになり、自然と技術的な部分やコーチングについて勉強するようになりました。何かをしたいと思うようになったのは、うつ病になって初めてのことです。
夏の総体が終わった後、一人の生徒が受験に向けて一時卓球をお休みするということで最後の授業になりました。その最後に「半年だけでしたけど、ここまで私と向き合ってくれて、指導してくれてありがとうございました。卓球がまた好きになりました。高校に入ったらまた卓球続けるので、先生から教えてもらえるのを楽しみにしています。」と言葉をもらいました。この時に、この子にとって、私は唯一無二の必要な存在になれたんだなと実感することができ、情報発信が自分のやりたいこと、やるべきことなのではないかと考え始めます。
うつで休んでいるとき、それは人生の終わりではなく、再スタートを切ることができる新たなチャンスなのだと思います。仕事をしていればどうしても一日が短く感じますし、自分の人生観や仕事について深く考える余裕もないでしょう。そんな中でゆっくり考える時間をもらえたということは、じっくり考えて新たなスタートを切れるように準備すればいいのです。その準備にかかる時間は人それぞれ、準備の内容も人それぞれですが、これは終わりではありません。始まりです。
うつや自閉症などの認知は、想像以上にひどい
うつや自閉症、いじめなどを起因にする精神的な病気は、世の中からまだまだ奇怪な目でみられますし、対応に困るものだと思われています。そのため、病気のことには触れられたくないですし、できればバレずにほかの人とも接したいもの。でもそれを隠すことにより、コミュニケーションの弊害を必ず引き起こしてしまいます。
現在コーチングスタッフをやっている卓球場にも、いじめを受けて定時制高校に通っている子供が多くいます。わずか15.6年しか生きていない子供たちが、壮絶な苦悩と身体的な苦しみを受け、ここに生きていることは、想像を絶する人生です。
自分自身が心の病を患うと、同じような病を患っている人のことがわかります。相手にもそれが伝わるようで、いじめを受けて、他人ともうまくコミュニケーションが取れず、初めて会う人とは絶対に言葉を交わさない女の子が、私に初見で話しかけてきました。何かを感じ取ったのでしょう。私も、その子がどんなことを経験してきたのか、一目見ただけで感じ取ることができました。このような立場の人々を、少しでも幸せな時間にいざなってあげることも、今の自分ができることなのかもしれません。
コテンパンに打ちのめされ、再起不能かとおもったところから、とりあえず這い上がってみた人生は、捨てたものではありません。必要としてくれる社会・世界が必ずあります。自分は普通ではないと感じることもありますが、そんな時は普通ってなんだろう?と問いかけるようにしています。普通なんてただの多数派の集まりです。それが正義でもありませんし、絶対的な指標でもありません。
うつを個性ととらえ、それを花咲かせることが、自分にとっての普通になればいいのかなと思います。
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