死産後の子供の供養

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不妊治療

昨年の8月に、はじめての子供を死産しました。

死産と流産の大きな違いは、火葬埋葬許可証が役所から発行されるか否かにあります。一つの命であることに変わりはありませんし、どちらも家族です。ですが、死産となると、火葬を行い、小さいながらも遺骨を拾います。生命の尊さや神秘を感じ、同時に無事に産めなかったことに対する後悔の念も出てくるでしょう。

ここから書くことは、流産・死産を経験された方はもちろん、無事にお子さんを産み育てている方にも、読んでいただきたいものです。子供の命は母のお腹の中からすでに始まっており、戸籍に残らなくても、遺骨がなくても、家族であることに変わりはなく我が子です。現在、目に見える形で子育てをされている方、幸運にも死産・流産の体験をされていない方には、ご理解がいただけない内容かもしれませんが、このような世界があり、苦しみ考えている人が多く存在することを少しでも理解していただければいいかなと思います。

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産後のできごと

私達夫婦は、妊娠21週目に死産を経験しました。母の産道を通り、外に出てくるたった数分前まで、子供の心臓は拍動し、生きる力を強く見せつけてくれました。

出産して、その日の夜は、親子揃って病室で川の字になって眠りました。我が子との最初で最後の体験です。翌日には火葬埋葬許可証をとり、その翌日火葬をしました。火葬場からは、骨が小さくて拾えない可能性もあると言われていましたが、細かく火力の調整をしてくれて、無事に拾骨することが出来ました。

悩んだのはここからです。

遺骨をどうするのか

初めのうちは、遺骨を自宅で保管していました。そこに我が子がいる思いで、毎日毎日お世話をしていましたが、どこかで供養をしなくてはいけないという思いも錯綜し、いろいろと調べるようになりました。ここで出会ったのが

「水子供養」

という言葉です。水子には様々な説がありますので、言葉の説明は簡潔にさせていただきます。簡単に言うと死産・流産で戸籍上に残らず無くなってしまった子供の命ということです。この水子供養をするため、県内にあるお寺を様々調べました。どこのお寺を見ても、水子供養の項目はあり、とりあえずは安産祈願を行ったお寺で供養を行うことにしました。

このときまだ、遺骨を手元から離そうとは思いませんでした。が、そのお寺で言われた言葉にも、多少なりともショックを受けました。

「水子様の遺骨はこちらではお預かりできません」

受付でこのように言われました。このお寺での水子供養は、本堂での合同祈祷の中の一項目です。商売繁盛や安産祈願などと同じ時に、祈願者の名前を呼ばれるだけでした。ひとまず、供養祈祷は行ったものの、生まれてきた我が子に名前を付けていた私達夫婦にとって、なんだか軽率に扱われたような感じがして、不満足な結果となってしまいました。

水子供養とはどんなものか

そこでさらに水子供養に絞って調べていったところ、水子供養専門ではありませんが、水子専用のお部屋が整備されているお寺を見つけました。私の住む宮城県では、仙台市青葉区にある「成田山」です。

どうしたらいいかわからず、ずっとモヤモヤした気持ちが残っていた私達は、とりあえず成田山へ行き相談をすることにしました。

水子供養と切っても切り離せないのがお地蔵様です。地蔵は子供を守り導くものとされており、お地蔵様の周りには子供が必ずいます。

訪れた成田山には、水子供養のためのお地蔵様が門をくぐってすぐのところにありました。隣には、水子供養の絵馬が飾られており、私達夫婦と同じ思いをした方々の言葉にならない言葉が、大切な我が子に対して向けられていました。

社務所へ行き、受付で相談すると、女性の住職さんが出てきて話を聞いてくれました。私達は「しっかりと供養をしたい」「共同墓地では嫌なので、個別のお墓ができるまで遺骨は手元に残したい」この2点を話をしました。

住職さんは私達の話を聞くなり、開口一番「お子様のお名前は?」と優しく問いかけてくれました。様々なお寺を回ってきましたが、我が子の名前を聞いてくれたのは成田山が初めてです。そこに、我が子を一人の人として、命としてしっかりと認めて、大切に扱ってくれるという安心感が芽生えました。

成田山では、水子供養をしっかりと行える、我が子のための供養場所をしっかりと確保できる、遺骨はまだ手元に残しておける(共同墓地に強制的に入れられずに済む)ということが確認でき、安心できました。供養中も、我が子の名前をしっかりと読んで頂き読経していただいたことで、やっとここまでたどり着いたという気持ちになれました。一つ、我が子に対して責任のある対応ができた満足感もありました。

仰々しく、お葬式という形はとっていませんが、我が子がしっかりと個の生命として空に登っていくことが出来たかなと思えた瞬間でした。そこから月命日には必ずお参りをするようにしています。お葬式も供養もですが、亡くなった方のためというよりも、残された家族や知人の気持ちの整理のためという意味合いが非常に大きいのだと実感しました。そのためにも、自分たちが満足行く形で、供養をしてくれる神社仏閣をしっかり探すことが必要でしょう。

納骨する場所を考える

私達は、その後に両親が同じ成田山でロッカー型のお墓を契約し、我が子の納骨を行うことが出来ました。自分たちが一生を終えて、お墓に入るときには、一緒のお墓に入ることができます。なにより自宅で守っていた遺骨をしっかりと納まる場所に納めることができ、一歩踏み出せた気持ちにもなれます。

もし、亡くなったお子様のことで悩まれている方がいらっしゃれば、お住まいの都道府県の中でしっかりと水子供養にフォーカスを当ててくれているお寺が必ずあるはずです。そこに相談されてはいかがでしょうか。ここにたどり着いた方の肩の荷を少しでも下ろすことができれば、私も嬉しく思います。

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