うつ病患者が、復職の際に気をつけること

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うつ病

夫婦でうつになり、1年、症状のひどかった妻に合わせて生活していたため、自分の治療は二の次で、妻の治療に心血を注いでいました。

だんだんと回復傾向が見えてきて、復職できるかもしれないなと本人も思えてきたので、本格的に職場と打ち合わせをしながら復職に向けて準備をすることに。コレが悪魔の道への初めの一歩でした。

今回の記事は医療関係でうつ病になっている方、一般企業でもうつに対してあまり理解のない会社に勤めている方は必ず読んでください。後から痛い目に合います。うちの妻がそうでした。

復職に向けてその1

復職の意思を示し、打ち合わせ

2019年1月からの復職を目指し、2018年10月に第一回会合が開かれました。メンバーは、看護部長、看護師長、病院内に勤務する産業医、事務、私と妻です。

この時点で、1月に戻りたいというか、慣らし勤務を始めたいという旨を伝えています。病院側はこれを受け、「復職プログラムの策定」「傷病手当金を受給しながらの働き方」の2点を調べ、1ヶ月後までにまとめてくるとの回答でした。

担当している心療内科では週3日から4日、一日4時間程度の勤務から始めるといいでしょうとのアドバイスだったので、それをベースに考えるとのことでした。職務内容に関しては、傷病手当金の受給要件に引っかからないように、行う業務を限定してやっていくということで決まりました。従前は病棟看護師だった妻なので、従前の看護業務以外の範囲で仕事をしていくことに。

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1ヶ月後の懇談

この時は産業医、看護師長、事務、私達夫婦の5名での会合。病院が提示してきたのは、健康保険組合が出してきた、復職支援プログラムのコピぺ、具体的な運用方法は書いておらず、中身のないマニュアルでした。

ここで立ち止まればよかったのですが、事務も産業医も「看護師の仕事はわからない」の一点張りで話が先に進みません。結果、看護師長と本人が、業務をしながらマニュアルを作っていくことになりました。

傷病手当金の受給要件にどのような仕事が具体的に合致して、どの程度まで手を出すとだめなのか、事務に対して再三の確認をとりましたが、明確な答えが返ってこないので、私が直接健保組合に連絡して、傷病手当金を受給しながらでもできる看護業務を具体的に聴き出しました。これがなければ、毎日出社して、図書室に閉じ込められ、本を読んでいるだけの仕事になっていました。今考えるだけでもおぞましい内容です。

12月末最終確認

前回と同様の5名での話し合い。産業医からは、毎日の気持ちの変化を記すチェックシートが渡され、月一での面談を約束、看護師長からは具体的な業務内容を支持されて、ある程度形になっていましたが、病院全体のマニュアルも言うまでには遠く及ばず、口約束の形で妥結。人事からは「本当に看護師として働きたいのか?」と言った、ありえない発言が出る始末。

とはいえ、本人のやる気を削がないように、年明けの仕事開始につなげました。

施行されて1ヶ月

初めのうちはマニュアル確認や、物品整理、シーツ交換や配膳などの軽作業と事務作業を繰り返す日々。決まったルーティンもなく、毎日がその日暮らしの仕事内容で、負荷が大きな日があれば、対して何もせず暇な日もある状況。

もともと妊婦や子供が原因でうつ病になっていたにもかかわらず、休憩時間は妊婦と一緒、これでは休めないので、直談判し、個人で休める小さな部屋を確保。毎日の振り返りは行われるものの、これは勤務時間外で話をするため、必然的にサービス残業。たっぷりの違和感と、現場の上司の看護師長の判断のみで仕事が進んでいく状態で、その指示や判断の源になる復職プログラムは作られないまま2ヶ月が経過。

そのうちに妻の体力は回復して、週4日6時間の勤務ができるようになる。

これに伴い、周囲のスタッフからの頼まれごとが増える。自分がやっていいことなのかだめなのかを判断しなければならず、仕事の疲れよりも周囲への気疲れで疲弊。何日かに一回は夜に泣いたり、不眠になったりする日々。

ここで私が病院側にアプローチ。心療内科の復職意見書を元に、指示の根幹となる細かな規定を定めた病院側の意見を盛り込んだプログラムの提示を求める。作成に応じる形で病院は了承、しかし、作成者は事務でも産業医でもなく現場の看護師長となり、看護師長の負担が膨大に増える。

この時点で、病院からは、復職プログラムで戻ろうとした初めての人なので「何をしたらいいかわからない」という無責任発言が出る。よって、私が具体的な業務内容や進め方を提案して、文面に残す。この時点で、私は人事課にとってクレーマーとなる。

3月、傷病手当金支給対象からの脱却

週4日8時間働けるようになる。この時点で、月間の給与は、傷病手当金の支給額とほぼ変わらない水準になるであろうと言う私の試算。本来のところはどうなのか人事課に確認し、細かな計算をさせる。目論見はほぼ当たり。

妻は傷病手当金受給範囲での仕事に苦しさがあったため、いち早くしがらみを取る必要があった。しかしそれは同僚スタッフからの「もう普通に仕事できるよね」という誤った認識の始まりでもある。

復職当初から同僚スタッフへの細かな指示や説明は行われておらず、各スタッフが各々の判断で仕事を頼んでくる。判断力、行動力が著しく欠如し、ストレッサーが増え続ける中、妻の精神はどんどんと病んでいく。頼みの綱の看護師長も、かつての妻のはたらきぶりを思い描き、一日も早くそこに戻すために必死になっていた。

ここでの問題は、うつ罹患者は、復職の際にかつての自分と比べられることを極端に嫌う。これは病気が治っていく過程で、かつての自分とは違う自分がいることに気づき、昔に戻ろうというゴールを設定することが無意味だと感じるためである。そのゴールにはいつまでたってもたどり着けない。だから、過去を知らない人との方が付き合いがうまくいく。この点を全体で共有しなければ仕事は続けられない。

3月末、細かな規定を定めた復職支援プログラムを4月1日より施行することを病院から通達される。これにより自体は終息するかに思えたが、翌月4月1日、プログラムは作られず、働き方は変わらず。

家に帰ってくるなり、死にそうな顔で、私に話し出し、1時間ほど泣いていた。自分にも経験があるが、これは、死ぬ直前の顔だ。自分がいなければ、スタッフにも病院にも、師長にも、そして家族にもこれ以上迷惑はかからない、だから死を選ぶ。この思考に入ると本当に死んでしまう。

私も仕事を休職させてもらえなかった1ヶ月間、ずっとこの状態で、ガードレールから飛び降りたら、高速道路で突っ込んだら、薬物などでの死も考えた。

数ヶ月前あれだけ元気だった妻をここまでさせた病院に怒りがこみ上げてきて、翌日に看護部長との面談を入れた。この時、現場監督をしている看護師長もメンタル的には限界だった。

面談前に心療内科へ。妻の病院からの書面が届いていて、復職支援プログラムに対する意見書を下さいという内容だったようだが、本人の同意書もとらず、かいてあるのは、看護師長が本人とどのように接して、どういう仕事をさせたらいいかという、意見をいうに値しないもの。主治医も、35年の医師生活でこんなにレベルの低いものは見たことない、君たちはとんでもない相手に対峙していると言われました。仕事を辞めるも選択肢だといわれ、私の腹は決まりました。

部長に話して何ま変わらなければ辞めさせる。そうでないと最愛の妻は壊れてしまう。

部長との面談

「あなた方の話を聞きますよ」というなんの反省もない始まり方、とりあえず妻が現状を語るも響かず。

一つずつ詰めていくことに。

心療内科へ送られた意見書には目を通してGOサインを出したのか?答えはイエス

同業者として、あの文書で答えが返ってくると思ったか?答えはイエス

1月から復職支援プログラムの具体的な内容を出すように要求していたが、今日まで出ていないのはなぜか?答えは師長と本人で決めるものだと思っているから

現場が働く上で、何を根拠に指示を出し、責任を取るのか知っているか?答えは「わからない」

働かせ方は病院が段階を明示して、それに則って全体共有され、プログラムが、進んでいくはずだが、共有もプログラムもない状態で、どう進んでいくのか?答えは「本人の意向を聞きながら」

本人が勤務時間の延長や、短縮、内容の変更などを申し出ないと変わらなかった現状を、本人に対するストレッサーとは思っていないのか? ダンマリ

設計士や住宅メーカーの発注なしに、工事現場の独断だけで家は建つと思うか? ダンマリ

この辺りで、自分の感情の抑えが利かなくなるのがわかってきました。ひさびさに左手の震えが止まらなくなった。

病院として、すべての根幹となる、細かな指針を決めてもらわなければ何もできない。このままでは、妻も師長さんも死にますよ!人を2人殺すことになるけどいいのか、これでは過労死問題やいじめ問題と同じだ。人を助ける病院が、従業員を殺すのか?

この辺りからやっと相手の目の色が変わりました。ここまでいわないと動かない大病院。悪いけど公務員よりタチ悪いかも。うつを知らないなら初めから知らないなりに動けと、いるだけ産業医と、私をモンスター扱いする人事課にはそんなことはできないだろうけど。変なプライド守るだけなら、人の命守ったら?と思ってしまう。

こんなことを約半年間続けてきて、やっと細かな病院の指針が出ました。訴えてから1日、やればできる。ただやらなかっただけ。知らないことを盾にして、動かなかっただけ。何が怖いのか、何を失うことが嫌なのかわからないけど、貴方達のせいで、私は自分の治療の時間も、家族の笑顔も、たくさんのものを失った。この代償はでかい。

復職する方にアドバイスとしては、傷病手当金を受給しながらの復職をすること。復職開始と同時に半年先までの復職プランを会社に作ってもらうこと。それが出来なければ、公務員以外は「リワークプログラム」という専門に復職に向けての支援をしてくれる団体があり、主治医、本人、会社の3社の間を取り持って、復職を、進めていく機関があるので、必ずそこに相談すること。

初めが肝心です。闇雲に何をするのかわからない復職では、復職になりません。ボロ雑巾になり、再発するだけです。

今回の大変な半年を経て、企業の精神疾患患者への偏見や、勝手に辞めてくれればいいのになというような裏の顔がよく分かりました。このような苦労をされる方が一人でもいなくなることを祈りまして。文末を締めさせていただきます。

ご意見、ご質問などありましたら、コメント欄にどうぞ。私達夫婦の経験則でよろしければお答えいたします。

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